元近鉄盛田幸紀さんの死去 [スポーツ]
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どうも金時です!
訃報です。
45才と若くして亡くなり、現役時代に脳腫瘍患いリハビリにより現役復帰しました。
1988年 中日ドラゴンズ戦で一軍デビュー
1992年 監督の江尻亮によって、重要され中継ぎ投手として登板した出場がほとんど
1994年 登録名を「盛田 幸妃」から「盛田 幸希」(読みは同じ)に変更。
2001年 34試合に登板、2勝を挙げ、近鉄の12年振りのリーグ優勝に貢献。
2002年 同年シーズン限りでの現役引退を表明
横浜球団の職員を務めながら、TBSラジオ専属の野球解説者として活躍しましたね。またライツ・スポーツネットワークの講師の一人としても活動していました。
盛田幸妃さんの父親は北海道で漁師をしていて、プロ入り前、父親が出漁中に盲腸炎にかかり大洋漁業の船に収容され一命を取りとめました。
5歳のとき実弟を脳腫瘍で亡くす。弟が遺したグラブで遊ぶようになったのが、盛田幸妃さんの野球生活の原点と言われてました。
またもや惜しい方が亡くなられとても悲しですね、、、
小さい頃に深い悲しみを背負い、ここからが新しい人生の始まりとして悲しみを乗り越えたんじゃないでしょうか?
御冥福お祈りします。
どうも金時です!
訃報です。
盛田幸紀さん死去
45才と若くして亡くなり、現役時代に脳腫瘍患いリハビリにより現役復帰しました。
盛田幸妃さん経歴、人物
1988年 中日ドラゴンズ戦で一軍デビュー
1992年 監督の江尻亮によって、重要され中継ぎ投手として登板した出場がほとんど
1994年 登録名を「盛田 幸妃」から「盛田 幸希」(読みは同じ)に変更。
2001年 34試合に登板、2勝を挙げ、近鉄の12年振りのリーグ優勝に貢献。
2002年 同年シーズン限りでの現役引退を表明
引退後
横浜球団の職員を務めながら、TBSラジオ専属の野球解説者として活躍しましたね。またライツ・スポーツネットワークの講師の一人としても活動していました。
盛田幸妃さんの父親は北海道で漁師をしていて、プロ入り前、父親が出漁中に盲腸炎にかかり大洋漁業の船に収容され一命を取りとめました。
5歳のとき実弟を脳腫瘍で亡くす。弟が遺したグラブで遊ぶようになったのが、盛田幸妃さんの野球生活の原点と言われてました。
またもや惜しい方が亡くなられとても悲しですね、、、
小さい頃に深い悲しみを背負い、ここからが新しい人生の始まりとして悲しみを乗り越えたんじゃないでしょうか?
御冥福お祈りします。
タグ:盛田幸紀死去
2015-10-16 18:10
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